「キリスト教の危機とアメリカの新しい希望」
アメリカで最初の集会場所は、ニユーヨークで最も有名なリンカーンセンター・夕ウンホールに決定された。
ニューヨークで最高の芸術の殿堂である。
大会の名称は
「希望の日天講演会」に決まった。時宜にかなった適切な名称である。
とはいえ、一般のアメリカ人にとっては非常に良い言葉であるが、刺激的であるとか衝撃的であるという言葉ではなかった。
 ニューヨークのアメリカ人信徒たちは精誠を尽くして活動した。
日ごとに徹夜祈祷が続けられた。
一週間ずつ断食することも日常茶飯事であった。
そして、朝から晩まで一軒一軒訪問して、チケットを販売し始めた。
 最初は何をどう語っていいのか分からなかった。
イエスの教えそのままに、「(あなたがたが)何をどう言おうかと心配しないがよい。
語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である」(マタイ福音書一皇二九、二〇節)とある聖句を信じて、大胆に家々の扉を叩いた。
 すると驚くべきことが起こり始めた。
扉を開けて入ると、「あなた方が来るのを待っていた」と言う人が現れたのである。
驚くのは訪問した側である。「きのうの晩、夢の中に白い老人が現れて、あなた方が訪問することを知らせてくれました」と言う。
 ある場合は、「あなた方は韓国から来られた高名な牧師様のことで来たのでしょう」と出し抜けに挨拶を受けることもあった。
 夜ごとに信徒たちが集まって報告会をする中で、不思議なことが次々と報告され、奇跡が至る所で起きていることを知るようになる。
これによって、すべての教会員が勇気百倍し、士気は旺盛になり、世の中によくある講演会ではなく、天が働かれ、霊界が動員された立体的な「主のみ言葉宣布犬会」であることを、誰もが確信するようになった。
そこからチケットの販売実績は急上昇した。
 アメリカでの最初のみ言葉宣布はニューヨークの真ん中で、超満員の聴衆を得て見事に成し遂げられた。
題目は「キリスト教の危機とアメリカの新しい希望」であった。
この日の通訳は、教会の先輩で、文先生に随行して来られた全栄縁先生か担当された。
 ニューヨーク講演の成功の波紋は、これと同じようなパターンで全国に広がっていった。
次の講演会が開催された都市は、アメリカの建国歴史が胎動したペンシルベニア州のフィラデルフィアであった。
三番目の都市がメリ上フンド州ボルティモアである。





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